生き甲斐の無いひと
虚しくて虚しくてしかたないひと
生まれたことを恨むひと
絶望の底にいるひと
俺は
支えて 支えて
超回復させるぞ!
生き甲斐の無いひと
虚しくて虚しくてしかたないひと
生まれたことを恨むひと
絶望の底にいるひと
俺は
支えて 支えて
超回復させるぞ!
社会生活を送る人類は、自然と、仮面を被るようになりました。 従って、 笑いの裏に、憤怒があり、 涙の裏に、騙しの舌なめずりがあるのです。 怒りを抑えて、平然とし、 大嫌いなのに、好きと言います。 従って、 好まれるためには、 「察すること」が、必要です。 KYにならないように細心の御注意を。
陸軍中野学校の送別歌の一節。 苦難に遭遇したら、逃げることを考えるのではなく、 もっともっと苦難よ来い! 叩きのめしてやるぞ! このような心の姿勢で苦難を蹴落とすのです。 蹴落として、焼き尽くし、水平線の外に投げ捨てるのです。
(当事務所は特定の宗教とは無関係です。)
シングルマザーの多くが、生活苦に陥っています。明日の食べ物すら十分子供に与えられません。最貧困レベルの人も沢山おられます。 さて、あなたの現在の悩みはなんでしょうか? その悩みとシングルマザーの深い悩みと比べてみてください。 そして、もうひとつ。 今の悩み、何か得なことがありますか? あるわけありません。 だったら、損なこと、つまり、悩むことを投げ捨てませんか? せめて、今日一日だけでも。
ワルトトイフェルのスケーターズワルツ。 是非、トスカニーニの指揮で聴いてみていただきたい。 人生の歓びと哀愁を、この名演奏から、感じていただけるでしょう。 そして、歓びと哀愁を超越した、「いま、ここに」の歓喜が溢れてくるでしょう。
不運、不幸の連続、、、、配偶者に捨てられる、破産、重篤な病、無職、、、 どんなに苦労しても、全く報われない。 「神も仏もあるものか! どんなに祈っても神仏は俺を助けてくれない。 ようし、どうせ神仏が無関心ならば、目を覚まさせてやる!」 男は、大量殺人に向かった。 男の心の中には、嫉妬、恨みしかなく、被害者ターゲットの人達が抱くだろう悲しみは考えられなかった。 神仏は、宮本武蔵の言うとおり、下僕ではないのだから、指示して動くものではない。 一生懸命求めるときに、智惠を授けてくれるものだ。 男は、もっともっと、自助努力の「方法」を求めるべきだったのだ。
部屋の中には、様々な物があります。 書籍、本箱、絵画、、、、、、 そして、部屋には空気があります。 空気の存在は普段、意識出来ません。 そして、 書籍等は無くとも、生きられます。 しかし、一番大切は空気は、生存に必須なものです。 あなたに必須な存在で、普段その有り難さに気付いていないものは何でしょうか? その存在は、あなたの横にいるかもしれません。
カラスは嫌われ、追い払われます。 私は違います。 カラスを見たら、「こんにちは!」「今日一日の幸せを祈るよ!」などと、声がけを。 「怖くないよ。おいで。」というと、そばに来て、じっと、目と目を合わせたりします。 感情の起伏、聴覚、味覚、嗅覚、記憶力、、どれも、人間を上回っています。 あるカラス。ベルちゃんと呼んでいますが、般若心経を読経してあげると、横にいたボーイフレンドに接近し、いきなり、キスを始めました。 法華経では、興奮しなかったのに、般若心経では興奮の極み。 そして生まれたのが、ナタリー。 黒いつぶらな瞳のナタリー。 女優になってもおかしくないような美人。 また、アリョーシャは、優しく微笑む美男子で、私と、隠れんぼをして遊びましたが、今は、留学中です。 これらこそ、まさに、環世界。
西洋のGODと、日本の神は全く異なります。 古事記を読めば分かるように、神は死ぬ。 イザナギ・イザナミ等々、 従って、神社で願い事をしても、既に、神は死んでいるのですから、叶えてくれるわけがない。 しかも、そもそも、神が願望を実現してくれるなどと、どこにも証拠もない。 それでも、神社で手を合わせることは、今でも、私は行う。 神道も、20年以上研究した。 それなのに、何故、神社で手をあわせるのか? それは、今が大変であっても、振りかえれば、危機一髪を切り抜けたことが何度もあるから。 そこに、人知を超えた、「力」を観ずるからです。 誰でも、生まれてから、現在まで、なんとか生きて来たのですから、いや、生き抜いて来たのですから、振りかえれば、それぞれのそばに、「力」を感じるはずです。
(当事務所は特定の宗教とは無関係です。)
ちょっとしたことで悩みを深める人が少なくありません。 何とか、現状を維持して、しがみつこうとすると、 逆に、悩みは深まります。 ビルの窓から蹴り出されて、窓枠にしがみつくのと、 人生の「今」にしがみつくのとは、意味が違う。 後者の場合は、むしろ、壁を蹴って、飛び降りてみること。 壁を手放して、地獄を突き抜ける。 その意気が、神を打ちのめし、人生を超回復させるのです。