良い神社、悪い陣社
もっと幸せに!
151 (楽しい人生への道しるべ)
良い神社、悪い神社
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代表弁護士 米川耕一 平成18年4月3日
1.今回(151号)は、「良い神社、悪い神社」です。
私は、良く神社に出かけます。
軽いタッチの御挨拶もあれば、正式参拝で真剣勝負のときもあります。
神道は一神教でありながら、多(面)神教と思っていますので、様々な神社を参拝します。
2.これまで、どう考えても、参拝したばかりに、ひどい目にあった神社が2つあります。
特に酷い目にあった神社は、お札など全て処分したにもかかわらず、困難な状況から抜け出せなかったので、徹底的に調べたところ、ほんとうに小さなお守りが隠れるように残っていて、それを処分したら状況が好転しました。
3.ところが、その神社を篤く信仰する方が身近におられ、その方はとても幸せに暮らしていらっしゃいます。ただし、その神社一本で、他の神社には参拝されません。
4.人間同士でも良い関係、悪い関係があるように、神社にも向き不向きがあるかもしれませんが、角度を変えて考えてみると、善し悪しは、各人の潜在意識が決めているのかも知れません。
例えば、「この神社は、華美で、私の考える神社らしくないな〜。」とか「神職の対応が、あまりにビジネスライクで嫌だな〜。」などと心の深いところで各人が判断しているのかもしれません。
その嫌なものが自分のそばに神札等として置かれれば、「嫌だな。」という気持ちが、深いところで高まり、悪い結果を招くと考えられるのです。
5.従って、特定の神社の神札を置いたら具合が悪くなったと「思ったら」、その神社とは相性が良くないと判断してよいと私は考えています。
以 上
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