好きな仕事 嫌いな仕事


今回は「好きな仕事、嫌な仕事」 のお話をさせていただきます。

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  私の知り合いのあるシンガー・ソング・ライターからこんな悩みを打ち明けられたことがあります。
 「自分は自分の好きな音楽を世に出したいと思っています。  でも、自分の好きな曲は現時点ではあまり人気が無く売れそうもありません。
 自分の好き嫌いは押さえて、売れることを優先的に考えるべきでしょうか。
 それとも、我が道を行くと考えるべきでしょうか。」

 これに近い悩みは会社経営においては頻繁に出てくるものです。どうしたらよいでしょうか。



 ここで少し視点を変えて、脳のお話をしたいと思います。
痴呆症、即、アルツハイマー症と直結して考えられがちですが、実際には痴呆症の九〇パーセントは脳を使わないことによって引き起こされていることが最近になって、分かってきたそうです。
 そして、いくら一所懸命仕事をしていても毎日同じようなことを繰り返していたのでは、脳のホンの一部分を使っているにすぎないので、それ以外の大部分が「俺達いらないのか」と思って萎縮して死んでしまうのです。
 一方、何か新しいことをやる場合には、慣れていないのですから当然スムーズに事を進めることはできません。
 しかし、スムーズにできないので、何とか頑張ろう、工夫しようと努力をすることになります。
 その努力が脳を活性化することになるのです。



 人生とは何なのかということは大昔から色々な人が悩んできたことです。
 窓の外の猫やカラスは気楽でいいなと思うこともあるでしょう。
 私は、悩み・努力することによって、その人の魂が磨かれ、人間としての進歩をすることに人生の意義があると考えています。
 努力すれば脳が活性化し、努力しなければ脳が萎縮してしまうのは、この人生の意義の問題を物質的方面から大自然が示唆したものであると考えています。


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「商品が売れる」「サービスが受ける。」とはどういうことでしょうか。
 私は、売り手の努力や誠意が商品やサービスを通じて買い手に伝わって、買い手を引きつけるのだと思っています。
 これは、天ぷら屋でお客に美味しい天ぷらを食べてもらおうと職人が一所懸命研究して揚げると、食べることが好きな客が自然に寄ってくることと同じです。



 従って、消費者が感動するような努力をし、誠意を尽くして物を作ればその商品は必ず売れるのです。このことから次のようにいうことができます。経営者としては、商品が消費者に気に入られるかどうかを先に考えるのではなく、まず、自分の目標を確立しこれを大切にして、その目標の達成のために、奮励努力する。消費者の気持ちは後からついてくるのです。ひとつの例をあげましょう。鈴木重子さんというジャズ・シンガーがいます。彼女は東大法学部に現役で合格し、司法試験合格を目指していました。しかし、本当に自分のやりたいことはこれではないといつも感じていました。あるとき、アルバイトで歌を歌った帰り道、ふと気がつきました。歌を歌ってこんな幸せな気分になれるのはなんと幸せなことでしょう。こんな日が毎日つづいたらいいな。重子さんは司法試験の勉強を止め、歌手の道を選びました。最初は生活が楽ではなかったのですが、好きなことをできる大きな幸せを感じることができる毎日となりました。そのうち、収入も増え、生活が安定するようになり、映画に出演するようにもなりました。重子さんは毎日の幸せの積み重ねに人生の道を見いだしたとおっしゃっています。


 
 しかし、そうは言っても、理想が実現する前に、会社がダメになってしまうことも無いとはいえません。この理想と現実とのギャップを埋めるためにはどうしたらよいでしょうか。池波正太郎の作品に「あほうがらす」という短編小説があります。江戸時代旦那に女性を紹介する仲介人を「あほうがらす」と言ったそうですが、主人公の雇い主がこの「あほうがらす」でした。この職業だけでは生活が不安定なので、その雇い主は全く別の職業である小料理屋をやっていました。会社は顧客に喜んでもらえるように努力すべきではありますが、同時に従業員、取引先などの生活も守ってゆかなければなりません。従って、経営者としては、商品開発に真心をもって当たることは勿論、一方で、あまり気乗りはしなくとも経営の安定のためには好きでない仕事も一時的にはやらなければならないのです。



 しかし、好きでない仕事を続けるとストレスがたまって体を壊すことにもなりかねません。この点はどうしたらよいのでしょうか。ここで思い出すべき事はあらゆる出来事にはそれぞれ隠された意味があるということです。最初嫌だなと思った仕事も経営者として、その隠された意味を発見する精神的旅と考えれば楽しくなってくるのです。こんな例があります。20年程前のことです。当時私は登記というと面倒くさく依頼されるとすべて友人の司法書士に回していました。ある時、その司法書士が大きなミスをして、私も紹介者として、依頼者からひどく非難されたことがあります。法律的には責任はありませんでしたが、道義的責任を感じてショックを受けたものでした。最も信頼していた司法書士のミスであったので、他の司法書士に頼む気にもならなくなってしまいました。残された道は自分で登記手続をやることしかありませんでした。こうして私は本来好きでない仕事を自分でやる羽目になってしまったのです。やむなく自分で始めはしましたが、気分の悪い日が続きました。ところがある日大きな転機がやってきました。 登記がからむ複雑な訴訟で証人尋問をすることになったのです。一般的に弁護士は登記についての詳しい知識を持っていません。その訴訟でも相手方の弁護士は不完全な知識しかありませんでした。一方、私は自分で登記を十分に研究していたので、登記について十分な知識の蓄積がありました。相手方の用意した証人の証言を反対尋問でことごとく論駁し、裁判は当方の完全勝利でした。いやいや始めた仕事も将来に私を備えさせるための準備だったのです。

 このように一見嫌な仕事も将来きっと意味をもってくると考える習慣をつけておくと将来への明るい希望が見え、ストレスをあまり感じなくなってきます。



 こうして考えてみると好きな仕事、嫌いな仕事も全てが経営者の精神的成長のためのものだということが理解されてくると思います。













              





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