1. 今回は、「決断力」についてです。



 会社を経営して行く中で、例えば設備投資をすべきか、人を増やすべきかなど決断を迫られることが頻繁に起こってきます。
 経営者としては、様々な角度からの検討を加えるわけですが、最後はどうしても、勇気を持って、決断せざるを得なくなります。
 その結果は、まさに「天国」の場合もあれば、「地獄」となってしまう場合もあります。では、「天国」イコール「成功」、「地獄」イコール「失敗」なのでしょうか。

2.私は勇気をもっての決断、すなわち「決断力」の結果として生ずる「天国」と「地獄」に差はないと考えています。
 優れた経営者はだれでも、会社経営上、重要な決断をするときには十分に吟味をし、最後は「決断力」を発動しています。
 ここのところが重要なのです。中世の高名な修道士ベネディクトが「神様、私に何事をも克服して行く勇気をください。」という趣旨のことを言ったのは、正に「決断力」こそが最も価値のあるものであると考えていたからです。
 重要なことは、「結果」 よりも「プロセス」なのです。このことは、一回限りの人生の価値=生き甲斐をどのように考えるか、死後どうなるのかという根本的問題につながってきます(これに関して、平凡な地方公務員が人生の価値を見つけて行くというストーリーの黒澤明監督の名作「生きる」は必見です。)。

3.そんなことを言っても失敗してしまったら人生終わりではないかという反論が必ず出ます。
 ところが、不思議なことにいったん失敗したように見えても、恐れず、「よし、行こう!」「行くぞ!」とずばりと割り切った「決断力」をもって決断した場合には、例え、そのときに失敗したように見えても、後で、必ずよりよい結果が待ちかまえているのです。
 このことは、古くは、風浪を冒してミカンを江戸に輸送して巨利を得た紀伊国屋文左衛門、近現代では、多くの大会社の操業時のエピソードをみれば一目瞭然です。
 一方、決断の結果「大成功」したとしても、安穏としてはいられません。
 いつまでも地獄にいることがないのと同じように、決断力を持ち続けて挑戦をし続けない限り、新たな競争者の出現、技術の陳腐化などによって、楽園を追放されることもめずらしくないのです。

4.こうして考えてみると、「決断力の発動」を迫られる場面は、実は、周到に準備された心理的訓練の場と理解されて来ます。
 しかし、この訓練場は、自分の気持ちの持ちようによって、完全に克服することのできるなのです。

5.雄々しき「決断力」を持ち続けるためのテクニックのひとつを紹介します。

 手のひらをじっと見つめる。幾多の困難をその手が克服してきたことを思い起こす。
 力を入れて、グッと握りしめる。ブルブル震えるほど握る。
 こうするうちに体に力がみなぎってきます。気分が乗れば、「ガオー」と叫んだり、机をたたく。さあ「出動」です。









        







 

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