今回(206号)は、「なぜ 悩みや絶望があるのでしょうか?」です。
「ひとは、良い意味でも悪い意味でも、広い意味でも狭い意味でも、快楽を求める」これが大前提です。
人類は進化を続けてきました。それなのに、快楽の対極にある、不安や悩み、絶望や無気力などのマイナスの感情は、なぜ、生き延びたのでしょうか?
それに対しては、不安や悩みがなければ、危機を感じて対処することができず、気が付いたら死が寸前に迫っていた、死が訪れたら快楽は追求できないからとも言えるでしょう。
では、絶望や無気力といった、一見、危機管理に関与しないような、強度なマイナスの感情の存在意義は何なのでしょうか?
これらの感情を持つと、場合によっては、自殺へと向かってしまいます。
わたしはこのように考えています。
①自殺してしまうような遺伝子は、進化生物学的には、自然な淘汰である。人類全体を考えた場合はそれでよい。
②絶望の淵から生還するヒトも少なくありません。そのようにして生還したヒトは、より生存に適した存在となっている。従って、遺伝的にも好適。
こう考えてくると、絶望や無気力の状態にいるとき、かすかに、「そうか。自分は試されているのか・・・苦境を脱却する可能性があるのだな。」というような気持ちが芽生え、はるかかなたの真っ暗な水平線に、希望の光が見えてくるのではないでしょうか。
不安などのレベルの低いマイナス感情は、生存の確保のための技術、そして、絶望などのレベルの高いものは、自然あるいは、神からの挑戦、ただし、勝ち目のある挑戦 と、思っています。
2010/06/18
米川耕一エッセイ もっと幸せに!