米川耕一法律事務所

何故生きる

 もっと幸せに! 176 
 何故生きる
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 代表弁護士 米川耕一 平成19年11月8日

1.今回(176号)は、「何故生きる」です。

  「自殺するのが生きがいでした。」・・・・概ね、このような遺書を残して自殺した方がおられたようです。その苦しみを考えると、胸が熱くなります。

 一方、妻に逃げられ、子に疎んじられ、株で失敗して破産状態、何のために働いているのだろうかと思ってしまう経営者。

2.「人生に意味はない。ただ、惰性で生きているだけだ。」これが、高校時代の私の結論でした。

 重病で死が近い人、植物状態の人、そのような方の人生にも意義があるのだろうかとの疑問に対し、関係性という観点から、生きる意味があるとフランクルは言ったと思いますが、では、身内が全くいない人はどうなるのだろうかとも考えました。

 一方、使えきれないほどのお金を持っていて、何もする必要がない人もいます。寄付をしたり、慈善活動をしますが、全人類が幸せになってしまったら、その人は、それでも生きがいがあるのだろうか。そうすると、寄付や慈善活動は、仮の目標であって、究極の生きがいではないのではないかとも考えてしまいます。

3.最近思うことは、「人間には無限の智恵が備わっているという事実を認識するために生きている。」と言うことです。

いろいろな困難を人類は切り抜けて来ました。困難を切り抜けると、それに挑戦するかのように、新たな問題が提起されてきます。また、その解決。また、新たな課題。

極端な例ですが、植物状態の人を見るお医者様、研究者、心理学者・・・、皆、なんとか治ってもらおうと努力します。研究成果を発表し、その智恵が広まります。また、新たなタイプの患者さん・・・・。患者さんがいなければ潜在する智恵の発現はありません。クライアントがいなければ新たな法理論は生まれません。

 かくて、患者ー医師、クライアントー弁護士、競争の勝者ー競争の敗者間、債権者ー破産者、自殺希望者ーカウンセラー・・・・・には、「潜在する智恵の発見」という観点からは、協同関係があるということになります。

 そして、その協同関係に、「愛」の裏付けがあれば、人類は大きなひとつの宇宙船に乗ることになるのでしょう。

 では、新たな智恵を獲得しつづける人類はどこに向かっているのでしょうか。それが、神と呼ぶ、ひとつの「状態」ではないかと思っています。         
         
      以 上   
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