米川耕一法律事務所

無神論

 無神論 122号
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 代表弁護士 米川耕一 平成17年4月4日
1.今回(122号)は、「無神論」です。

 あなたが神の存在を信じる方だとしたら、次の問にどのように答えますか。

(1)仏陀は食べ物にあたって、苦しんで亡くなりました。

(2)ローマ法王は、長年病に苦しんで亡くなりました。

(3)原爆で多くの「普通の方」が亡くなりました。

(4)地震、津波、火災などで倒壊した神社仏閣は数え切れません。

(5)信仰深く、しかし、若くして亡くなった有名人も沢山います。

(6)あれほど善行を積んだマザー・テレサも体調がすぐれませんでした。

(7)熱心に信心している方は、皆元気といえるでしょうか。


2.苦しいときに神や仏に祈っても、神や仏は助けてはくれない、あるいは、神様なんてそもそも存在しないと考えるべきでしょうか。

 私は、このことに関してある実験をしたことがあります。

 中学生時代までは、母に連れられて、ある日蓮宗系のお寺に毎朝参拝していましたが、遅くとも、大学受験、司法試験受験に際しては「自分の力だけでやる。」と決意して神仏を頼りにすることを断ち切りました。

 「離脱の罰」を考えなかったわけです。それでも合格しました。

 一方で、幼少時から不思議な力に助けられてきたという感覚もあります。

 ガラスに首を突っ込んでも死ななかった。

 海、川でおぼれかけても死ななかった。

 国の難病にかかっても治ってしまった。

 お金が底をついても復活することは数え切れないほど有った。

 結婚しようと思っていた女性と一緒に喫茶店にいると、おかしな外国人が来て、堕胎に関して怒鳴り、その結果不幸な結婚を回避できた。

 深夜、小田急線の中で眠り、気がつくと、暴れまくっている若者がおり、全員が避難していたが、私だけ一人悠然と、何事もなかったかのように眠りこけていた。


3.これらの出来事、特に自分で想念のできないはずの幼少時の出来事から、私は、「何者かに護られている。」という感覚を持つようになりました。

 特に、必死になって努力しているときは、よく護って、リードしてくれていることを強く感じます。


4.状況が悪いときは、兎角、投げやりになりがちです。

 しかし、人生を幼少時から振り返ってみると、「意外と護られていたんだな。」という感覚が生まれてくるはずです。

 その感覚を大切にしてみられたら如何でしょうか。


     以 上     
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