聴力を失い、絶望のなか、ハイリゲンシュタットの遺書を書く。
真っ暗だっただろう。
しかし、やがて、時は来た。
「自分は、芸術のために生きるんだ!」
彼の作品は、この絶望をとおして、深化し、
英雄、運命、田園、第九に至った。
絶望がなければ、これらの傑作は生まれなかった。
絶望は、まさに、女時(めどき 世阿弥)であり、プロセスとして、力の蓄積時だったのだ。
だから、今絶望していても、女時と悟り、蓄え、爆発する男時(おどき 世阿弥)に顔を向けようではないか!
「生きる」ベートーヴェンさん、ありがとう! – 米川総合法律事務所