1.今回(183号)は、「落ち込み遺伝子」です。
A.重い病気を告げられたり、金欠になったり、恋人にサヨナラされたり、・・・・「不運」と言われる事態のとき、ほとんどのヒトは、落ち込みます。
B.一方、道で転んだら、立ち上がろうとします。落ち込むひとはいないでしょう。自転車の練習で転んでも、おなじで、なんとか自転車の運転に慣れようとします。
A.B.いずれのカテゴリーに入る事態も、健康でありたい、お金がほしい、・・・・、ちゃんと歩きたい、自転車の運転に習熟したい等という「望みが叶えられなかった」ということでは同じです。
では、なぜ、A.とB.のカテゴリーで、ココロの反応が、消極v積極 に分かれるのでしょうか。
小生はこう考えています:
A.カテゴリーの事態は、「失敗」であり、「不運」であると、子供の頃から、親や社会によって、教育されてしまっている。一方、B.カテゴリーは、親、社会によって、「成功に至るステップ」と教育されている。
その教育が、大脳に刻み込まれてしまっているので、大人になっても、そのカテゴリーどおりの反応をしてしまう。
従って、A.に属する事態に直面しても、大脳の回路を切り替えるために、思考、言語、非言語的表現を使って「よし、これで目標達成に一歩近づいた」「電球に向かない材料を、ひとつ、発見したぞ(エジソン)」などとすればよい、と思います。
2008/08/19
米川耕一エッセイ もっと幸せに!