104号
2004年5月24日 代表弁護士 米川 耕一
1.今回(104号)は、「素晴らしき日曜日」です。
かつてフランスの名監督をして「これまでで最も美しい映画の場面」を持つと言わしめた黒澤明監督の作品です。
戦争によって無一文になり、クラシックの聴けるカフェを持ちたいという夢を断念しかけた青年が、日曜日に恋人と駅でデートをする場面からスタートします。
子供との野球に興じたりして一時的に明るい気分にはなるものの、青年は失意の底からなかなか立ち上がることができません。
2.青年の惨めなアパートにいったんは足を踏み入れたものの、青年の頑なな心からやがて喧嘩となり、恋人はその部屋から逃げてゆきます。
(A)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二人は再び明るさを取り戻します。それまでの雨がうそのように上がり、日が差してきます。散歩に出ます。やがて、二人は野外音楽堂にたどり着き、そこでふたりだけの想像のコンサートが始まります。シューベルトの交響曲「未完成」。オケはもちろんありません。しかし、そこに音が聞こえてくることを信じて青年は指揮を始めます。当然のように何の音も聞こえてきません。
(B)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やがて、オケのチューニングの音が聞こえ出します。「未完成」の演奏の音が青年の指揮によって聞こえてきます。
一日だけのデートの最後の場面。青年は恋人を電車に乗せた後、力強く背を伸ばし、困難に負けずに目標に向かって努力する意志を現し、映画はその実現を示唆しつつ完了します。
3.上の(A)(B)の前後で大きな変化があるわけですが、(A)は、恋人が心を込めて泣きながら心情を青年に訴えた場面、そして、(B)が最高の場面ですが、二人だけのコンサート会場で恋人の顔が観客に向かってアップになり、涙ながらに「皆さん、私たちのような貧しい二人にも拍手を送ってください。お願いします。お願いします。」と訴えたものです。
この場面で観客はあたかも子を持つ親、必死で願われる神様の立場に置かれてしまいます。(A)→(B)への情感の強化によって観る者の心に「よし、何とか力になってやろう!」という強力な想いが創造されるのです。
4.この映画はどのように祈ったら願いが聞き届けられるかを示唆した名作と私は観ました。
以 上
(次)
Copyright © 1999-2004 koichi yonekawa , all rights reserved.