105号
2004年5月26日 代表弁護士 米川 耕一
1.今回(105号)は、「目標なき人生」です。
会社を立ち上げた頃はだれでも一所懸命に売上を伸ばし、会社の安定・発展に奔走します。
ところが、努力の結果、会社の経営が安定しきってしまう、自分がいなくても会社は動いてゆくという段階になると目標を失って生きる意欲をなくしてしまう経営者が少なくありません。
また、とても仲の良い夫婦の一方が亡くなると残された人が抜け殻のようになってしまうこともあります。
このように目標や他人に過度に寄りかかることはある意味で大変危険なことといえるでしょう。
2.さらに深く考えてみましょう。そもそも人生に目標は必要なのでしょうか。
ひとつの目標を達成したら新たな目標を常に設定しなければいけないのでしょうか。
目標を必要とするのは、それに向かって努力を重ねることによって「人生を生き生きと楽しく生きる。」為ではないでしょうか。そうであるのならば、「人生を生き生きと楽しく生きられれば」必ずしも人生に目標はなくともよいはずです。
3.外に生きがいを求めずに、人生を生き生きと生きるひとつの方法は、一瞬、一瞬を楽しみ、その積み重ねが人生であると観ずることです。
良いレストランで食事を楽しんでいるとしましょう。その楽しんでいる時間に人生の全てがあると考えます。
例えば、前日支払で苦労したことは過ぎ去った、そして変えようのない過去です。月末の支払の苦労は未実現の未来です。いずれも不存在なのです。
そして、今この瞬間をなぜ楽しめるかを考えます。そうです、今、少なくともレストランに支払うお金があるからです。今、体が健康だからです。素敵な内装があるからです。実力のあるシェフがいるからです。有能なサービス人がいるからです。
それら全てが今この瞬間に同時存在しているというのは何という巡り会わせでしょうか。
やがて、それらのものは時間の経過とともに離れてゆきます。目の前のパートナーですらいずれ、死別や離婚で離れてゆきます。
そう考えると、この瞬間は何と貴重なものであることか。仮に、パートナーがご機嫌を損ねていようが、そんなことはこの貴重な巡り会いから見れば簡単に許せることです。
このようにして、それぞれの「瞬間」をひとつ、ひとつ味わってゆきます。
4.そして、最後に「なぜその貴重な瞬間を認識できるのか。」を考えます。
それは、自分がその瞬間に生きているからに他ならないのです。
以 上
(次)
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