2003年4月25日 代表弁護士 米川 耕一
1.今回は「募る想い〜愛の対象」です。
私事で恐縮ですが、私がまだ中学三年生のときのことです。
ある同級生に片想いをし、そのやるせない
つらさから学校を休み、区立図書館で一人で時間を過ごしていたときがありました。
修学旅行にも行かないと宣言しましたが、周囲の人は、何故私が突然そのような宣言をしたかは知る由もありませんでした。
時間が経っても、切ない想いが募るばかりでした。
2.その後しばらくして、突然、「私の恋愛感情の対象はその女生徒ではなく、その女生徒の属する類(るい)である。」と悟りました。
つまり、気品のあること、聡明なこと、やや陰のあること、顔の特徴などいくつかの私の好きな要素を持った人であれば、その特定の女性に限られることはなかったと悟ったのです。
3.このように書きますと、反発や失望を感ずる人もいるでしょうが、事実は「愛の対象は類」なのです。
この理が分からないばかりに、離婚に際して子の親権に異常にこだわったり、配偶者が亡くなると意気消沈してすぐに後を追う人が出てくるわけです。
4.人間にとって最も大切なものは「自由」です。
時間の自由、お金の自由、健康という肉体についての自由、存分に仕事ができるという自由、人間関係の束縛からの自由、発想の自由・・・です。
子供の親権が得られなくとも、面接交渉権は必ず得られます。
なぜ親権を得たいのかということを深く考えれば、面接交渉権が得られれば、我慢することはできますし、子に対する愛情を他のことに振り向けることも出来ます。
配偶者と死に別れても、愛の対象が類であることを理解すれば他の異性と交際すればよいのです。
現に私が70歳代の方に「好きにおやりなさい。」とアドバイスし、細胞が若返って、元気溌剌となった例はいくつもあります。
また、この理が分かれば、ストーカーや不幸な犯罪も大幅に減るはずなのです。
5.「愛の対象は類である。」この理がわかれば、なにも修行などをつまなくとも、個々のものに対する執着心はなくなり、「悶々とした」苦悩などもなくなり、人間本来の自由を取り戻すことができるのです。
以 上
(次)
Copyright c 1999-2003 yonekawa koichi , all rights
reserved.