2003年5月29日 代表弁護士 米川 耕一
今回は「不安のスパイラル」です。
お金がない、仕事がない、手形の期日まであと一週間しかない等の経営上の悩みを持ち続けていると、不安が益々強まり、気が狂いそうになったり、死にたくなったりします。
不安は考えれば考えるほど益々加速度的に強まる傾向性を持っています。
それは嬉しいことを考えるときよりもはるかに強力です。
なぜでしょうか。
また、どうしたらよいのでしょうか。
将来のことを考えるときに全く何の不安をも感じなければ突然の事態に対処できなくなります。
多量の出血があった場合に何の不安も感じなければ病院に行かず出血死してしまうこともあります。
従って、人間が不安感を持つようになったのは合理性があったのです。
ここに人間を超えた知性の存在や何らかの仕組みの存在を感じることが大切です。
実は、適切な不安を超えて過度の不安を感ずることが許容されていることにも意味があります。
過度の不安、一人では解決できないような不安は必然的に他の人間の智恵を借りたり、それでも足りなければ、究極的な力、即ち、神仏へ向かわせます。
不安の強度に応じて、自力→他力→神仏へと向かうレールが用意されていると言ってもよいでしょう。
従って、死ぬほど苦しいときは神仏が「私を信じなさい。」というメッセージを送っているのです。
およそ立派な宗教家で立教以前に安穏とした人生を送った人はいません。
病、極貧生活などを通して、神仏を信じざるを得なくなり、後に宗教的指導者=アドバイザーとなっているのです。
神仏へ向かうレールがシステムとして提供されているということは、必ず、現況の不安は克服できるということをも意味しています。
後は、自ら努力をすること、即ち、本を読んだり、アドバイスを第三者から受けたり、沈思黙考し、克服の方法を探索すべきなのです。
そのような努力なしに単に「困った。心配だ。」では、上述のレールから外れてしまっていることがお分かりになると思います。
(なお、弁護士米川耕一は特定の宗教とは関係がありません。上述の「神仏」は宗教一般のことを述べています。)
以 上
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