96号
2004年2月19日 代表弁護士 米川 耕一
1.今回(96号)は、「私は何も悪いことをしていないのに。何故?」です。
道を歩いていたら、突然、後ろから車に跳ねられ死んでしまった。
見ず知らずの通り魔に殺されてしまった。
健康に気を遣っていたのに難病になってしまった。
一所懸命家庭を守ってきたのに、突然離婚を言い渡された。
「何も悪いことをしていないのになぜ?」
「あんないい人がなぜ?」
「神さまなんて信じられない。」
生きている限り続く根源的な問いです。
2.「前世の因縁である。」と言う宗教家もいます。
「善人が必ずしも幸せになるわけではない。
人生は偶然の集積に過ぎない。
事故に遭うのも偶然。」という哲学者。
様々な意見が交わされてきました。
3. 26年に渡る弁護士生活での多様な経験、また、自分自身の病気、仕事・お金の苦労などを通じ、この大問題について私はこのように考えるようになりました。
全ては各個人の「祈り」の現実化である。
4.ここでいう「祈り」とは、良いこと、悪いこと、そのいずれであっても心の底=潜在意識に刻み込まれた希望を意味します。
表層意識と異なり、潜在意識を認識することはできません。
従って、元気溌剌の人であっても、本人が気付かないうちに、心の最深部で死を希求していることすらあるのです。
この場合、その人の本当の「祈り」は、「死」なのです。
その「祈り」が臨界点に達するとその人は不慮の死を遂げることもあるでしょう。
かくて「祈り」が達成されるのです。
5.不幸を避けるためには、潜在意識に本当によい「祈り」を刻み込まなければなりませんが、一体どうしたらよいのでしょうか。
6.「良い祈りの反復、継続」。
これに尽きます。
寝ても覚めても良い祈りを繰り返します。
悪いことは決して言わない。
頭に浮かんだらすぐ他のことを考える。
人の悪口には耳を塞ぐ。
一見悪そうなことは、良いことへの変化のプロセスととらえる。
これは一種のトレーニングです。
最初は辛いでしょう。
しかし、それはやがて習慣となります。
そのころには、あなたの周りには良いことしか起きなくなっています。
以 上
(次)
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