シェフの死 と 生きる意味

親しいフレンチのシェフが亡くなった。30年来の知己。

死とはなにか。
死の主体は何か。
私達、いや、少なくとも私達の身体は、必ず、死ぬ。
そのように必ず訪れる事実に哀しみ惑う必要はない。

自殺?
自殺は他殺と同じく、殺人罪。
何故なら、この身体は自己の所有物ではないからだ。
故に、自殺してはならない。
自殺の権利自体がない。

では、人生の愉しい想い出、悲しい想い出、学びは、何処へ行くのか?

それは、集合無意識に刻印される。
集合無意識は、ブラフマンであり、空海の如来であり、老子的道であり、実在の本質である。

西洋的GODや日本的神をみれば明らかなように、集合無意識の世界においては、本来、善悪はない。

自然法的善悪は、人が作ったもの。
すると、人は、悲しむ人の哀しみを知り、GODや神を超えた存在となる。

故に、人は、GODや神を超越した能力を有する存在として、自信を持って良い。

人は、神やGODを指導することが出来る立場にある。
集合無意識を変革する力がある。

故に、何があろうと、落ち込む必要はないし、どうどうと胸を張って、生きればよい。
困難があったら、回復を祈ってはならない。
それでは、もったいない。
回復ではなく、超回復をするんだ。

何かあったら、超回復と一日中、唱えることだ。

それと、貴方の身体を日々支えてくれている存在にも感謝だ。
食料、空気、水、家族、床、壁、平和、安全、友人、、、、

生物、非生物、様々な存在が貴方を支えてくれている。
その全てに感謝だ。

感謝の対象は、全ての存在。

そして、貴方自身も、誰かに感謝されているはずだ。