大量殺人

不運、不幸の連続、、、、配偶者に捨てられる、破産、重篤な病、無職、、、

どんなに苦労しても、全く報われない。

「神も仏もあるものか! どんなに祈っても神仏は俺を助けてくれない。

ようし、どうせ神仏が無関心ならば、目を覚まさせてやる!」

男は、大量殺人に向かった。

男の心の中には、嫉妬、恨みしかなく、被害者ターゲットの人達が抱くだろう悲しみは考えられなかった。

神仏は、宮本武蔵の言うとおり、下僕ではないのだから、指示して動くものではない。

一生懸命求めるときに、智惠を授けてくれるものだ。

男は、もっともっと、自助努力の「方法」を求めるべきだったのだ。

空気を観る

部屋の中には、様々な物があります。

書籍、本箱、絵画、、、、、、

そして、部屋には空気があります。

空気の存在は普段、意識出来ません。

そして、

書籍等は無くとも、生きられます。

しかし、一番大切は空気は、生存に必須なものです。

あなたに必須な存在で、普段その有り難さに気付いていないものは何でしょうか?

その存在は、あなたの横にいるかもしれません。

カラスを見たら

カラスは嫌われ、追い払われます。

私は違います。

カラスを見たら、「こんにちは!」「今日一日の幸せを祈るよ!」などと、声がけを。

「怖くないよ。おいで。」というと、そばに来て、じっと、目と目を合わせたりします。

感情の起伏、聴覚、味覚、嗅覚、記憶力、、どれも、人間を上回っています。

あるカラス。ベルちゃんと呼んでいますが、般若心経を読経してあげると、横にいたボーイフレンドに接近し、いきなり、キスを始めました。

法華経では、興奮しなかったのに、般若心経では興奮の極み。

そして生まれたのが、ナタリー。

黒いつぶらな瞳のナタリー。

女優になってもおかしくないような美人。

また、アリョーシャは、優しく微笑む美男子で、私と、隠れんぼをして遊びましたが、今は、留学中です。

これらこそ、まさに、環世界。

神の死

西洋のGODと、日本の神は全く異なります。

古事記を読めば分かるように、神は死ぬ。

イザナギ・イザナミ等々、

従って、神社で願い事をしても、既に、神は死んでいるのですから、叶えてくれるわけがない。

しかも、そもそも、神が願望を実現してくれるなどと、どこにも証拠もない。

それでも、神社で手を合わせることは、今でも、私は行う。

神道も、20年以上研究した。

それなのに、何故、神社で手をあわせるのか?

それは、今が大変であっても、振りかえれば、危機一髪を切り抜けたことが何度もあるから。

そこに、人知を超えた、「力」を観ずるからです。

誰でも、生まれてから、現在まで、なんとか生きて来たのですから、いや、生き抜いて来たのですから、振りかえれば、それぞれのそばに、「力」を感じるはずです。

(当事務所は特定の宗教とは無関係です。)

中途半端な悩みなら

ちょっとしたことで悩みを深める人が少なくありません。

何とか、現状を維持して、しがみつこうとすると、
逆に、悩みは深まります。

ビルの窓から蹴り出されて、窓枠にしがみつくのと、
人生の「今」にしがみつくのとは、意味が違う。

後者の場合は、むしろ、壁を蹴って、飛び降りてみること。
壁を手放して、地獄を突き抜ける。

その意気が、神を打ちのめし、人生を超回復させるのです。

愛する人に苦悩を言えないときには

死にたくなるほど辛いとき、そして、誰にも悩みを打ち明けられないとき(打ち明けると、配偶者が自殺してしまうなど)。

そんなときは、ひとり、鏡に向かって、写った自分自身に、話しかけること。

「○○君、今日一日だけは、死なないで、頑張ってみようよ」「○○さん、どうせ太陽系はなくなるんだから、人がどう思おうが、どうってことないよ。」・・・・・・・・・・

鯉に恋して

友人のドクター。池に鯉を160匹。池の管理人3人。

自分が、161匹目になったら、生活は楽だろうけど、この世のトレーニングは積めなくなる。

この世は、戦場であり、訓練場であるのだから、狭き門を通らなければ、生まれた意味がないと思うなぁ。

怒らせない言葉を

スーパーのレジに並んでいると、背後から、「すいません。すいません!!」。

かなり、強圧的な強い言い方で、怒りがこみ上げる程。

振り向くと、おじさんが、買物かごをレジの手前の台に乗せたいけれど、私がいるので、乗せられないという状況。

おじさん、
そんなときは、「すいませ~~~ん」と、語尾を伸ばす日本語表現を使えば、穏やかにすんだのに、、、

ゴミ!と言われて

「ゴミ、捨てて来て!」「ゴミ、汚いよ!」と言われる。確かに、自分は、本当のゴミだけど、

それでも、蔑まされるのは、辛いんだ。

一言でもいいから、褒めてほしい。

だって、さっきまでは、美味しい魚の骨だったのだから。

「美味しいお魚を支えてくれていてありがとさんでした。」等と、、、